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森祇晶さん「やってられるかい!森祇」ベンチのサインでサヨナラ被弾…連続インタビュー「G九十年かく語りき」スポーツ報知
1972年6月の阪神戦で川上監督(右)と話す森

 巨人球団創設90周年記念の連続インタビュー「G九十年かく語りき」の第8回は森祇晶さん(87)の登場だ。晶さ捕手として「V9の頭脳」と呼ばれ 、んやってられるかいベンチのサインでサヨナンタビューGりき巨人の強さを支えた洗練されたチームプレーの要でもあった 。ラ被水原茂、弾連川上哲治という2人の大監督から教えを受け、続イオフィサージェフリーのちに西武でも黄金期を築き上げた知将が 、年か秘話とともに喜怒哀楽を語った。く語(取材・構成=湯浅 佳典、森祇太田 倫)

 川上さんは僕を信頼してくれていると思っていたのに、晶さ毎年のように捕手を補強するんだ。んやってられるかいベンチのサインでサヨナンタビューGりき平安高から野口元三、ラ被明大の佐々木勲、弾連慶大の大橋勲  、続イ立大の槌田誠、年か東洋大の宮寺勝利… 。死にもの狂いでつかんだポジションなのに、litttt次から次に  。そんなに信用できないのかと 、いささかまいった。人間だもん 、怒りがなかったと言ったらウソになる。

 息を抜く暇なんかなかった 。ただ 、のちに自分で監督をやって腑(ふ)に落ちた 。チームはマンネリでは強くならない 。レギュラーを常に刺激して安心させず、活性化を図るのは 、絶対に必要なプロセスなんだ。

 こんなこともあった  。ある投手が、ゲームの最中に僕のサインにずっと首を振るんだよ。しかも 、ベンチをチラチラ見てね 。あげくの果てに 、僕のカーブのサインに首を振って直球を投げ 、サヨナラ本塁打を打たれた。

 どうやら 、ベンチからサインを出していたコーチがいたんだな。そりゃ頭にきたよ 。こんなんじゃキャッチャーなんかやってられるかい !とね。眠れなくて 、翌朝一番に川上さんの自宅に行って抗議した。川上さんのすごいのは 、「本当に申し訳なかった 。これからはお前に任せるから 、気を取り直してやってくれ」と 、すぐに謝ってくれたところ 。その日の試合は必死でリードして 、勝った覚えがある。

 今は 、そのコーチも投手も亡くなってしまった。全てを任せてもらっているつもりだったから 、何とも腹立たしい思いをしたね。

 ◆森 祇晶(もり・まさあき)1937年1月9日、大阪・豊中市生まれ。87歳  。現役時代は昌彦。55年に岐阜高から巨人に入団 。61年から8年連続ベストナイン 。74年引退。球宴出場11回 。ヤクルト  、西武のコーチを経て、86年に西武監督に就任 。パ・リーグ史上初の5連覇(90~94年)を含むリーグ優勝8度 、日本一6度に導き 、94年限りで退団。2001、02年に横浜(現DeNA)監督 。05年に野球殿堂入り  。

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